お腹の赤ちゃんが
2011ねん6がつ18にち はれ
夜23時に津田沼からバス出発
向かう先は仙台―
上司の一声で集まったボランティアメンバーは、職場のプロジェクトチーム11人中4人。
中には子育てで忙しい奥さんの反対を振り切って来た人も。
東北の震災で人手が足りないのは報道されている。
でも、ガンバレ!とか言い放ってるだけなのは嫌で、現地に行ってこの手で何かしなきゃと。
ニュースみて、俺も○○しなきゃなぁ・・・とか言ってるだけは偽善じゃないかなと。
あ、応援してる人を否定するつもりはないよ!
ただ僕が自分に納得行かなかっただけってこと。
だから、不謹慎と言う人も居ると思うけど、今回バスから撮った写真はupさせて頂きます。
こういう事象をより身近に感じて、心と体を動かしてくれる人が増えたら。
1万円のボランティアツアー参加費を支払ってまで来る人たちはさすが、気合いが段違いだった。
今回は総勢44人。
大きなスコップを担いだ知らない人たちが集うバス待合所は、異様な光景だった。
詳細な目的地は未決定だった。
ボランティア受け入れ先の状況は時々刻々と変化してるからとのこと。
目的地が発表された、あの時の緊迫した空気は忘れられない。
そして、こともあろうかこれである。
石巻。
宮城の中でも最も海に突き出した半島の先端、津波は直撃。
どんな状景が目に入ってきてもおかしくないと、改めて覚悟を決めたけれど、高速道路は破断を修復したせいか段差でガタガタ、西の景色は普通でも東の景色は一帯に荒れ地が広がっていた。
道中。工場の天井が丸ごと抜け落ちてた。
高速を降りればそこは、人気の全くなくなった町。
歩道橋は手すりが剥がれ落ち、車道のガードレールは何処かへ流され、電柱は折れて横たわっていた
町中に放置されたボコボコの車。新車も見えるけど関係無いのよね。
停船してたであろう、打ち上げられた船。
この山のほとんどが船。
海に近くなるにつれ、基礎しか残っていない家が辺り一帯に出現する。
その中に虫取り網を持った子供が2人・・・。
自衛隊。
民家は窓バリバリ、家の一部がえぐれて何処かへ行ってる。
マンションの壁に穴があいてる。
ベランダが吹っ飛んでる。
海岸から数100mのところに船。
周りのブロック壁の破片とかからも、辺り一帯が"砕け散った"様子が伺える。
少し高いところから。
V字に切り込んだ湾の延長線上は完全にさら地。
生と死の境目は何処にあるのかとか、
がんばって生きてもこれじゃあなぁとか、
日本の行く末が不安だとか、
色々思ったけどみんな同じなようだ。
特に2~30代は結構多いようで、母親のピアノの生徒繋がりでお稽古ごとの先生が言うには、
「俺なんて・・・」ってこぼす若者が物凄く増えたんだとか。
自分も仕事に恋愛に震災に信仰にと、なんだか辛いこと、大変なことばっかりが重なってホントに鬱が再発しかけたここ半年。
いつしのっかなって本気で思ってたココ半年。
でも最近、新入社員が入ってきて妙に気合い入ったり、昨日は研究室に行ってオープンキャンパス参加して、ワクワクしながら勉強し始めた頃を思い出したり、暇を持て余すかのように散歩してみたり、こんな時間を過ごすのも悪く無いよね。
幸い、日々社会貢献をする場所は頂いている訳で、
今年の自販機冷却部の設計は全機種僕です。(どやぁ
お陰で椅子に根っこが生えそうですが。
兎も角、3/11から3カ月以上たったこの時期でもこの有様。
奥地なので中々復興が進まないし、何しろ作業が進まない。
この日44人が全員フル稼働して出したアウトプットは、
・人が集まる拠点となる公民館の、腐乱臭の立ちこめる地下室に溜まった水(強烈な匂い+ボイラー室から漏れたオイル)の掻きだし、荷物の運び出し
・とある民家の床板を全部剥がす(リフォームの下準備)
オイルと水の中に浸かってた布団を引っ張りだすのが重いこと重いこと。
男5人がかりでやっと引き上げた。
汚水の底から布団が見つかった時は、人が浮いてくるのを覚悟しました。幸い出て来なかったけど。
毎週色んなツアーバスがボランティア企画してるから、一緒に日本復興しに行かないか!!!